2009年10月05日 13:47
正岡子規の病状六尺という本には
人間はいつ死んでもいいと思うのが悟りだと思っておった
ところがそれは間違いやった
平気で生きておることが悟りやったと
分かるか
平気で生きておることは難しい
死ぬときが来たら死んだらいいやし
平気で生きておれるときは
平気で生きておったらいいのや
私は宮崎 奕保(みやざき えきほ)やけども
「永平寺さん」言うたら「はい」言うんや
永平寺とわしと一つや
自分くらい大事なものはない
自分くらい大事なものはええけども
人はどうでもええんではなくて
環境もみな自分だから
わたしが永平寺やから
永平寺を大事にすることは
自分を大事にしておる
自然は立派やね
わたしは日記をつけておるけれども
何月何日に花が咲いた
何月何日に虫がないた
ほとんど違わない
規則正しい
そういうのが法だ
法にかなったのが大自然だ
法にかなっておる
だから
自然の法則をまねて人間が暮らす
人間の欲望に従っては迷いの世界だ
真理を黙って実行するというのが
大自然だ
誰に褒められるということも思わんし
これだけのことをしたらこれだけの
報酬がもらえるということもない
時が来たならばちゃんと花が咲き
そして黙って
褒められても褒められんでも
すべきことをして黙って去っていく
そういうのが実行であり
教えであり
真理だ