タイ:沖縄より考察 瞑想
南タイのスラタニーという町に
移動して『スーアン・モッカ』瞑想寺で
10日間の瞑想合宿に参加。
修習(Bhavana)
生じさせて起こす、そうでないものをそうする、まだないものを生じさせることを意味します。だから、実践であり、訓練であり、実行に着手することなのです。修習には訓練、薫陶というもう一つの意味があります。訓練は、できないものをできるようにします。薫陶は、まだないものをあるようにするとき、またそれ以上に生じさせてあるようにさせ、起こしたとき増進して完全にすることでなければなりません。
まだないものを生じさせる。
鼻先に呼吸に意識をおき、呼吸を観察する
合宿の前に決意した
私の修習(Bhavana)でした。
私たちの日々の行為を最小限に
抑えて呼吸を観察する瞑想です。
最小限の行為とは
歩く、立つ、座る、
横たわる、食べる
それ以外の話す、見る、思う
などは出来るだけ避けるようにします。
その為に呼吸を観察します。
鼻先に意識をおいて吸っている。
はいている。止まっている。
呼吸を観察します。
それらを10日の間続けます。
一日の流れはこうです。
瞑想は1日で4回に分かれています。
早朝、午前、午後、夜。
早朝
4時に鐘がなり起床。
4時半より30分瞑想後
2時間のヨーガ。
その後30分のダンマトーク(法話)と瞑想
朝食
午前
10時-11時 ダンマトーク
(テーラワーダ仏教についての基本的な法話、無常、苦、無我、12縁起、
アーナパーナサティなどブッダ・ダーサの説法のテープを聴く)
11時-11時45分 座る瞑想
11時45分-12時30分 歩く瞑想
昼食
午後
14時半-15時半 ダンマトーク
(テーラワーダ仏教についての基本的な法話、
無常、苦、無我、12縁起、アーナパーナサティなど)
15時半-16時15分 座る瞑想
16時15分-17時 歩く瞑想
18時 チャンティング(お経)
ティータイム
夜
19時半 座る瞑想
20時 歩く瞑想
20時半 グループ歩行瞑想
21時 終了
21時 消灯
初日、二日目、三日目。
私のエゴが再び現れます。
姿勢は、こうあるべき。
呼吸は、こうあるべき。
エゴが姿勢と呼吸を押さえつけるのです。
その結果、首、肩周りはがちがちに緊張。
一日が終わると疲れ果てて、あっという間に
眠りました。
宿舎:コンクリートの上にムシロに木の枕
毎晩、腰や頭が痛くて眼が覚めました。
二日目、三日目、
ある日のダンマトーク(法話)で
「私たちは常に経験を求めています。
経験を常に欲しているのです。
何かを見たら、瞬時に自分の欲しいもの、好きなもの
きれいなもの経験しようとします。
何かを食べたら、おいしいと経験を欲し
何かが触れたら、気持ちよいと経験を欲するのです。
姿勢も同じです。出来ないのに、緊張して背筋を伸ばしたり
結跏趺坐をくんだりと経験を求めています。
そしてその経験が苦しみを生みだしているという結果に
気づいていないのです。逆のその苦しみこそが人生なんだと
無明、無知という勘違いをしているのです。
呼吸を洞察します。」
それを聞いた時私はガーンと何かに
うたれたような気がしました。まさしく私は
経験を求めていたにすぎないのです。その結果が
緊張状態での背筋を伸ばした小一時間という満足という
「苦しみ」であり、首が横に回らないほどの痛みでした。
そういえば、奈良の大仏さまも
あまり姿勢はよくなかったかな。。
などと妄想しながら、
姿勢へのこだわりを捨てました。
そうすると、こんなにも自分で苦しみを
つくりだしていたのかと、驚きでした。
からだが軽いのです。
こんなに、緊張していたら
何もできないなと、姿勢への
こだわりを捨てた時に思いました。
姿勢への緊張が解放されると次は
呼吸への緊張が待っていました。
呼吸とは
長くはくべき。
というエゴがありました。
身体は、短い呼吸をしようとしているのに
エゴは身体の事はお構いなしで
エゴの満足の為に長く呼吸をするのです。
結果はエゴの満足と身体の疲労。
あとは何も残りません。ただ時間が
過ぎていくだけ。
そんな瞑想を続けているときに
蚊がブーン。ブーン。ブーンと
顔の周りにやってきました。
野外で座る瞑想をやっているので、蚊
ある時間になると決まってやってくるのです。
瞑想を続けていて気づいたのですが
瞑想中は蚊は足や胴体はさしても顔には
さしません。顔に止まってもささずに、再び
飛んでいきます。
顔の血が下半身にさがっているのでしょうか?
ブーン。ブーンと飛んできても、ささない事は
分かっていたので、でも気になるので手を
動かして払いました。そして再び座ります。
呼吸を観察します。
すると呼吸を自分でコントロールしようとする
エゴがいつの間にか消えていて、呼吸を観察
する私が現れたのです!
長い、荒い、興奮した、不注意な、短い
といった一呼吸、一呼吸の特徴を観察しました。
エゴが望むようないつでも長くて深い呼吸であるべき
という決まった型の呼吸なんて、ありませんでした。
そうやって、一日一日
一つずつ発見がありました。
壁にぶつかると
修習(Bhavana)
まだないものを生じさせる。
鼻先に呼吸に意識をおき、呼吸を観察する
をつぶやき、自分の位置を
確認しました。
10日間。
現在だけの観察を続けました。
10日が過ぎ、沖縄に戻り
日常の現在があります。