2008年04月22日
姿勢
しかし、意志により感覚器官の働きを制御し執着を抱かず、運動器官(カルメンドリア)により行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)を行ずる者は誰よりも優れているのだ。(バガヴァット・ギーター Ⅲ-7)
心は常に過去、現在、未来の三つのいずれかのことを考えている。例えば、心は過去の成功と失敗とを思い出し、現在の欲望を昂揚させ将来の希望の実現を計画する。こうした心の動きを外からの力で止めることはできないし、外から抑制すればかえって事態が悪くなる。「バネ」は縮むが、錘を取り去ると同時に元の形に戻る。心も外からの圧力に対しては同じ様に反応する。外部における行為をとめさせるだけでは、行為の束縛から逃れることはできないのである。むしろ欲望を昇華させ感覚器官の働きを心の中に閉じ込め、執着することなく行為を遂行しなければならない。普通の人は身体が肉体的行為に従事している時でも、その心は感覚器官の圧力を受けてさまよっている。カルマ・ヨーガ行者の心は行為に捧げられ、行為に専念している。その心は感覚器官の対象物を求めたり、あちらこちらへとさまよったりしてはいない。ヨーガ行者は行為の成功や失敗、あるいは愉快さや不愉快ささえも考えないから、その心と魂とは行為に集中できる。ヨーガ行者がその行為に一心に集中している時、間違った道に入ってしまったり遣り損じたりすることがあるだろうか?また失敗することがあるだろうか?肉体が行為に従事している時、その行為に身を捧げず、心と魂とを行為に集中させることもせず、その心が野原をうろつく野良犬のようになっている者の場合は失敗してしまうのである。カルマ・ヨーガは意思と感覚器官の働きとを浄化すると共に、それらの内的心理器官が外部の無関係な事々に捉われないようにその働きを一点に集中させ、それによって人が最高の心理を悟れるように導いてくれるのである。(科学で解くバガヴァット・ギーター)
姿勢が悪い。
集中力がない。
と子供の頃に父に言われていた。
二十歳の頃、お寺で修行し
沖縄に来て、古武道を始めてからは
逆に
姿勢がいいね。
と言われる事が多くなった。
言われるたびに私は、こそばゆい。
恥ずかしい。感じがいつもしていた。
私は姿勢がよくない。
という思いが心に残っていたのだろう。
生活をヨーガし始めた時。
私の姿の勢いが分かりました。
それは父が言っていたように
姿勢が良くない勢いでした。
全国各地で行なわれるセミナーに
私は答えを求めて足を運んでいます。
でもいざセミナーの時になると私は
席の後のほうに座り、どんな人がくるのかな〜
講師はどんな様子かな〜と
眺めるのが常でした。
足は運ぶも、全く集中ができていないのです。
積極的に見えて、消極的な自分の姿勢が見えてきました。
何かを頼まれると、やりたくないという否定的な感情が走る自分。
言い訳を考えて断ろうとする自分。
手伝いにいっていても、どこか、外から眺める自分。
目の前の現実に集中できていない自分がいました。
私は姿勢が悪い。
その事に気づきました。
そして姿の勢いを積極的にしようと決意しました。
どんな事でも切り開いていこう!と決意しました。
瞬間瞬間に起こる現実を集中しようと。
時折、過去の姿勢の悪さが顔をだします。
再び、姿勢をただし、呼吸をはきだし
集中しよう。と確認をしました。
今日は一ヶ月に一度のヨーガニケタンのITICの日。
それが終わるとさらに楽しみにしていた
ヨーガスートラの講義。
今からヨーガスートラに入ろうとする前の休み時間。
携帯のメールを見ると妻から、昨日から行なっている
窯だきのトラブルがあって息子を代わりに迎えにいって欲しいと言う。
電話をする。
妻:息子を迎えにいって欲しい。
私:いいよ。
と返答する自分。楽しみにしていたヨーガスートラの講義が
いま始まろうとしている時にそれをキャンセルして息子を迎えにいく。
以前の私だったら、憤慨しながら
なんで、迎えにいかんとダメなの?
と声をあらげたと思う。
電話ですんなりと「いいよ」と言った自分に驚いた。

1256度。
窯の温度を上げる事は
空気とガスのバランスなんだ。
窯だきを行なったことが今までで
一番のカルマヨーガだった。(by rumi)
Posted by katsukino at 23:31│Comments(0)