2008年12月02日
私の産前産後(ヨーガ的考察)
ヨーガ・セラピーを学び始めてから
ヨーガの練習中に意識化を心がけるようになりました。
ヨーガ歴は6年くらいになりますが前半は体に執着していました。
子宮外妊娠したことで体質改善に良いと、ヨーガを始めました。
健康になりたい、体柔らかくなりたい、ついでにナイスボディになりたい
と、ポーズの練習に励んでいました。
それまで、まったく運動らしい運動をしてこなかったので
私の肉体は見違えるようになりました。
久々に里帰りした折、実家の母は
どうしたの、首が伸びたね!(姿勢が良くなったと言って欲しい・・)
と驚き、妹は
ねえちゃん、肌きれいになった。
と言いました。
当の私は今まで感じたことのなかった健康感につつまれ
心までさわやかになったような気がしていました。
(生理痛が無くなった、肩こりが無くなった、持病の片頭痛がなくなったetc.
数え上げたらキリがありません。)
妊娠が分かってからは、不妊の悩みから解放されて
明るく、強く、積極的になり
性格まで良くなったような気がしていました。
妊娠中も家族や友人知人にお祝いの言葉をかけられ
順調に快適にマタニティライフをおくり
今思えば努力が報われたような気がして
有頂天になっていました。
出産を無事終えて、ヨーガしていたかいがあったと思った瞬間
想定外のことが起こりました。
息子が感染して生まれてきました。
生まれたばかりの赤ちゃんは私の胸の上に一瞬だけいて
その後は保育器の中で点滴を受け
私はショックで40℃近い熱を出しました。おまけに忘れかけていた片頭痛まで伴いました
私も感染してしまったのでした。。
私の性格は一変しました。
くよくよ、めそめそ、優柔不断で、無責任になりました。
赤ちゃんが死ぬかもしれない、私のせいだ。
と訳のわからないことさえ思いました。
しかし、生後間もない赤ちゃんは、
私の心配をよそに保育器の中でよく泣きよく動き、
私の指から初乳をなめていました。
私はそれでも安心できませんでした。
私の熱が下がり
赤ちゃんが保育器から出てきて、名前が決まっても安心できませんでした。
おっぱいをあげること、おむつ替え、泣いているのをあやすこと、抱き方、
何から何までさっぱりわかりませんでした。
わかりかけたと思ったら、また新たに問題が発生します。
しゃっくりが止まらない、うんちが出ない、湿疹が出てきた・・・
無我夢中で8ヶ月ほど経ったとき、マタニティヨーガを教えてみないかと
お誘いを受けました。
同じころ、友達からヨーガ・セラピーというのがあるらしいと聞きました。
私のお産はいったいどうだったんだ?
安産だったはずなのにこのすっきりしない感じは何なんだ?
と自信を失っていた私は、これに飛びつきました。
仕事を始めれば自信が取り戻せるかもしれない。
そしてヨーガ・セラピーを勉強してみよう、何かが変わるかもしれない。
ヨーガセラピーを学び始めてすぐに私は自分の心の闇に気がつきました。
子宮という、一番肝心なところに最大の刺激を受けた後だっただけに
心の深い部分の闇を見ることになりました。
ヨーガセラピーでは
体に軽い刺激を加えてわざとストレスをあたえ、
それによる筋肉、関節、神経などの反応を意識化します。
少し難しいけれど、やがて心(意識)の動きも意識化できるようになります。
つまり、体も心も客観視し、ありのままの姿を受け入れる。
正しく認知する、ということです。
冒頭でも書きましたがヨーガセラピーを学び始めて2年くらいが経ちました。
ヨーガセラピーとは数々の心身症の治療としてヨーガの知恵を使うというものです。
体、というよりは心のほうを注意するようになり
日常生活での心の動きが認識できるようになりました。
すると、無知なことや、心のコントロールを失うことが
多くの病気に関係していることがわかってきました。
出産以来、再び片頭痛に悩まされいた私は、
片頭痛の原因も心のまずさが大いに関係していることに気がつきました。
感情が暴走してとめどなく脳を刺激し過緊張になり
暴走に疲れ果てて急に思考を停止してしまう。
そうなるとズキンズキンと始まるようだ、とわかってきたのです。
(片頭痛も、腰痛や高血圧、各種アレルギーと並んでを心身症の一種としてあげられています。)
そもそも片頭痛が始まったのはいつからか。。。
高校生の頃、両親が別居してしばらくして
帯状疱疹が頭にできそれ以来片頭痛に苦しんできたことを思い出しました。
正確にはそのことをはっきりと明確に認知した、と言ったほうがよいかと思います。
それまでは帯状疱疹についての記憶はとても曖昧で、ぼんやりと苦しい印象としか記憶していませんでした。
進路に迷った高校2年生が両親の別居で受験に対する意欲を失ったと言えばそれまでですが
私はこの頃から心の成長を止めてしまっていることに気がつきました。
この苦境(両親の別居中の受験勉強)にあって私が考えたこと、とった行動を振り返り、私はハッとしました。
環境が整うと私は明るく強く正直で積極的で、人を助けました。
しかし、苦境に陥ると私は弱く、自己中心的でウソつきで優柔不断、意地悪で人を傷つけました。
その果てに自分に怒り自暴自棄になって、逃げ、責任転嫁して時が経つのを待ちました。
高校2年生の私はそれまで目指していた音大受験を練習が辛いという、わががまで取りやめ
応援してくれた両親、恩師に大変な迷惑をかけ進路をコロリと変えました。
自分の学力を過信して、希望大学を高望みし努力不足で失敗しました。
かろうじて引っかかった滑り止めの県内の私立大学に入学し、
挫折感を引きずって不真面目になり遊びまわりました。
そして心の中では受験の失敗を両親のせいにしていました。
授業料を払ってもらいながらほとんど授業に出席せず、赤点ぎりぎりの落ちこぼれでした。
父が亡くなった時もそうでした。
就職して自律神経失調症になった時もそうです。
結婚が決まり仕事をやめ見知らぬ土地に来た時もそうでした。
不妊の時もそうでした。
そして、想定外の連続で自分の思い通りにならない子育て中の今も、そうなのでした。
不幸な出来事や失敗をバネにしてやってきたつもりでしたが、
逃げて、環境を変えて、行きづまってまた、逃げの繰り返しでしかありませんでした。
私には苦境に立ち向かう自信が全くなかったのでした。
うまくいかなくなると、いつも心の中で不幸なできごとのせいにし、
私はどうせいつもこうだから、などと言い訳を始めるのでした。
書くと膨大ですが、ある時このことが一瞬で認知できたのです。
認めることは大変つらかったのですが、
明らかにパターン化している自分の心と行動に気づくことができた驚きと
喜びの方が大きく
私は背中に羽が生えたような気がしました。
今こそ私は変われるかもしれない!
思い通りにいかない2歳の息子と向かい合い、
多忙な夫には依存できない毎日
この苦境をありがたく受け入れ、自分を変える実践中です。
弱い自分を知ったので、そういう自分が出てこないよう
育児という苦境を修行の場にしています。(少々オーバーですが)
夫に「やっとサイドブレーキ下ろして走り始めたね」
と言われました。
なるほど。
私は高校時代からの苦しみを一切合財かかえて今を暮らしていたのです!
重たくて生きにくかったはずです。
ヨーガセラピーとは、セルフカウンセリングすることかもしれないな、と思っています。
Rumi
ヨーガの練習中に意識化を心がけるようになりました。
ヨーガ歴は6年くらいになりますが前半は体に執着していました。
子宮外妊娠したことで体質改善に良いと、ヨーガを始めました。
健康になりたい、体柔らかくなりたい、ついでにナイスボディになりたい
と、ポーズの練習に励んでいました。
それまで、まったく運動らしい運動をしてこなかったので
私の肉体は見違えるようになりました。
久々に里帰りした折、実家の母は
どうしたの、首が伸びたね!(姿勢が良くなったと言って欲しい・・)
と驚き、妹は
ねえちゃん、肌きれいになった。
と言いました。
当の私は今まで感じたことのなかった健康感につつまれ
心までさわやかになったような気がしていました。
(生理痛が無くなった、肩こりが無くなった、持病の片頭痛がなくなったetc.
数え上げたらキリがありません。)
妊娠が分かってからは、不妊の悩みから解放されて
明るく、強く、積極的になり
性格まで良くなったような気がしていました。
妊娠中も家族や友人知人にお祝いの言葉をかけられ
順調に快適にマタニティライフをおくり
今思えば努力が報われたような気がして
有頂天になっていました。
出産を無事終えて、ヨーガしていたかいがあったと思った瞬間
想定外のことが起こりました。
息子が感染して生まれてきました。
生まれたばかりの赤ちゃんは私の胸の上に一瞬だけいて
その後は保育器の中で点滴を受け
私はショックで40℃近い熱を出しました。おまけに忘れかけていた片頭痛まで伴いました
私も感染してしまったのでした。。
私の性格は一変しました。
くよくよ、めそめそ、優柔不断で、無責任になりました。
赤ちゃんが死ぬかもしれない、私のせいだ。
と訳のわからないことさえ思いました。
しかし、生後間もない赤ちゃんは、
私の心配をよそに保育器の中でよく泣きよく動き、
私の指から初乳をなめていました。
私はそれでも安心できませんでした。
私の熱が下がり
赤ちゃんが保育器から出てきて、名前が決まっても安心できませんでした。
おっぱいをあげること、おむつ替え、泣いているのをあやすこと、抱き方、
何から何までさっぱりわかりませんでした。
わかりかけたと思ったら、また新たに問題が発生します。
しゃっくりが止まらない、うんちが出ない、湿疹が出てきた・・・
無我夢中で8ヶ月ほど経ったとき、マタニティヨーガを教えてみないかと
お誘いを受けました。
同じころ、友達からヨーガ・セラピーというのがあるらしいと聞きました。
私のお産はいったいどうだったんだ?
安産だったはずなのにこのすっきりしない感じは何なんだ?
と自信を失っていた私は、これに飛びつきました。
仕事を始めれば自信が取り戻せるかもしれない。
そしてヨーガ・セラピーを勉強してみよう、何かが変わるかもしれない。
ヨーガセラピーを学び始めてすぐに私は自分の心の闇に気がつきました。
子宮という、一番肝心なところに最大の刺激を受けた後だっただけに
心の深い部分の闇を見ることになりました。
ヨーガセラピーでは
体に軽い刺激を加えてわざとストレスをあたえ、
それによる筋肉、関節、神経などの反応を意識化します。
少し難しいけれど、やがて心(意識)の動きも意識化できるようになります。
つまり、体も心も客観視し、ありのままの姿を受け入れる。
正しく認知する、ということです。
冒頭でも書きましたがヨーガセラピーを学び始めて2年くらいが経ちました。
ヨーガセラピーとは数々の心身症の治療としてヨーガの知恵を使うというものです。
体、というよりは心のほうを注意するようになり
日常生活での心の動きが認識できるようになりました。
すると、無知なことや、心のコントロールを失うことが
多くの病気に関係していることがわかってきました。
出産以来、再び片頭痛に悩まされいた私は、
片頭痛の原因も心のまずさが大いに関係していることに気がつきました。
感情が暴走してとめどなく脳を刺激し過緊張になり
暴走に疲れ果てて急に思考を停止してしまう。
そうなるとズキンズキンと始まるようだ、とわかってきたのです。
(片頭痛も、腰痛や高血圧、各種アレルギーと並んでを心身症の一種としてあげられています。)
そもそも片頭痛が始まったのはいつからか。。。
高校生の頃、両親が別居してしばらくして
帯状疱疹が頭にできそれ以来片頭痛に苦しんできたことを思い出しました。
正確にはそのことをはっきりと明確に認知した、と言ったほうがよいかと思います。
それまでは帯状疱疹についての記憶はとても曖昧で、ぼんやりと苦しい印象としか記憶していませんでした。
進路に迷った高校2年生が両親の別居で受験に対する意欲を失ったと言えばそれまでですが
私はこの頃から心の成長を止めてしまっていることに気がつきました。
この苦境(両親の別居中の受験勉強)にあって私が考えたこと、とった行動を振り返り、私はハッとしました。
環境が整うと私は明るく強く正直で積極的で、人を助けました。
しかし、苦境に陥ると私は弱く、自己中心的でウソつきで優柔不断、意地悪で人を傷つけました。
その果てに自分に怒り自暴自棄になって、逃げ、責任転嫁して時が経つのを待ちました。
高校2年生の私はそれまで目指していた音大受験を練習が辛いという、わががまで取りやめ
応援してくれた両親、恩師に大変な迷惑をかけ進路をコロリと変えました。
自分の学力を過信して、希望大学を高望みし努力不足で失敗しました。
かろうじて引っかかった滑り止めの県内の私立大学に入学し、
挫折感を引きずって不真面目になり遊びまわりました。
そして心の中では受験の失敗を両親のせいにしていました。
授業料を払ってもらいながらほとんど授業に出席せず、赤点ぎりぎりの落ちこぼれでした。
父が亡くなった時もそうでした。
就職して自律神経失調症になった時もそうです。
結婚が決まり仕事をやめ見知らぬ土地に来た時もそうでした。
不妊の時もそうでした。
そして、想定外の連続で自分の思い通りにならない子育て中の今も、そうなのでした。
不幸な出来事や失敗をバネにしてやってきたつもりでしたが、
逃げて、環境を変えて、行きづまってまた、逃げの繰り返しでしかありませんでした。
私には苦境に立ち向かう自信が全くなかったのでした。
うまくいかなくなると、いつも心の中で不幸なできごとのせいにし、
私はどうせいつもこうだから、などと言い訳を始めるのでした。
書くと膨大ですが、ある時このことが一瞬で認知できたのです。
認めることは大変つらかったのですが、
明らかにパターン化している自分の心と行動に気づくことができた驚きと
喜びの方が大きく
私は背中に羽が生えたような気がしました。
今こそ私は変われるかもしれない!
思い通りにいかない2歳の息子と向かい合い、
多忙な夫には依存できない毎日
この苦境をありがたく受け入れ、自分を変える実践中です。
弱い自分を知ったので、そういう自分が出てこないよう
育児という苦境を修行の場にしています。(少々オーバーですが)
夫に「やっとサイドブレーキ下ろして走り始めたね」
と言われました。
なるほど。
私は高校時代からの苦しみを一切合財かかえて今を暮らしていたのです!
重たくて生きにくかったはずです。
ヨーガセラピーとは、セルフカウンセリングすることかもしれないな、と思っています。
Rumi
Posted by katsukino at 00:08│Comments(5)
この記事へのコメント
今日の日記に感動しました。
ここまで自分の事を整理して文章に出来るなんて、まさにセルフカウンセリングの賜物ですね。
ルミさんの体験談を通して、ヨーガ療法に対する自分の理解がさらに少し深まった気がします。
体験をシェアしてくださってありがとうございます。
それから、先日は参考図書の紹介ありがとうございました。
ここまで自分の事を整理して文章に出来るなんて、まさにセルフカウンセリングの賜物ですね。
ルミさんの体験談を通して、ヨーガ療法に対する自分の理解がさらに少し深まった気がします。
体験をシェアしてくださってありがとうございます。
それから、先日は参考図書の紹介ありがとうございました。
Posted by moonyshanti at 2008年12月02日 13:53
moonyshanti さん
こんばんは。コメントありがとうございます。
ルミは現在、カマタキに向けて、睡眠不足状態で
パソコンの前には座れない状態です。
窯の火で、焼き尽くす。
ごとくに集中していますよ。
落ち着いたら、コメントすると思いますので
どうぞ、よろしくお願いします。
木下克俊
こんばんは。コメントありがとうございます。
ルミは現在、カマタキに向けて、睡眠不足状態で
パソコンの前には座れない状態です。
窯の火で、焼き尽くす。
ごとくに集中していますよ。
落ち着いたら、コメントすると思いますので
どうぞ、よろしくお願いします。
木下克俊
Posted by おきなわヨーガ
at 2008年12月03日 22:17

moonyshantiさん。
お恥ずかしい話ですが、ヨーガの世界では過去の自分の不幸や過ちは
なんというか、
『糧』になるような気がしています。
でも過去に私がしっかり蒔いた種(カルマ)なので
芽が出る前に焼き尽くさねばなりません・・・ね
ヨーガ・セラピーしっかり勉強しましょう!
お恥ずかしい話ですが、ヨーガの世界では過去の自分の不幸や過ちは
なんというか、
『糧』になるような気がしています。
でも過去に私がしっかり蒔いた種(カルマ)なので
芽が出る前に焼き尽くさねばなりません・・・ね
ヨーガ・セラピーしっかり勉強しましょう!
Posted by rumi at 2008年12月08日 22:31
やっと今日気持ちを落ち着けて読むことができました。
きっと過去には過ちは無いのだと思います。
その出来事があって、今があるのだから。
悲しむことや恥ずかしがることは無いのだと思います。
すばらしい経験ができてよかったですよね!
わたしも自分の人生を振り返って、
自分を抱きしめたくなりました。
きっと過去には過ちは無いのだと思います。
その出来事があって、今があるのだから。
悲しむことや恥ずかしがることは無いのだと思います。
すばらしい経験ができてよかったですよね!
わたしも自分の人生を振り返って、
自分を抱きしめたくなりました。
Posted by nori at 2008年12月09日 21:24
noriさん、コメントありがとう。
特に女性はお産を終えて、子供におっぱいあげて
触れ合って、という子育て期に身体にいろんな刺激をうけます。
かわいさに顔をほころばせ成長を喜び
泣くのをあやし、子供の言いたいことを理解しようとし
風邪を引けば寝ずの介抱。なにからなにまで依存され
心にも大きな刺激を受けます。
刺激=ストレスととらえると
快ストレスも不快ストレスもどちらも母として人間味を増すための
成長材料にしたいものです。
育児の楽しい面と苦しい面両方を受け入れるには
自分のよい面悪い面
自分の人生の幸不幸両方を受け入れる必要があるのでしょうね。
そもそも『快、不快』『良い悪い』『幸、不幸』などと2極でものごとを
とらえることなんて、できないのかもしれません。
できごとも、自分の感情もありのまま受け入れる、というのでいいのでしょうね。
特に女性はお産を終えて、子供におっぱいあげて
触れ合って、という子育て期に身体にいろんな刺激をうけます。
かわいさに顔をほころばせ成長を喜び
泣くのをあやし、子供の言いたいことを理解しようとし
風邪を引けば寝ずの介抱。なにからなにまで依存され
心にも大きな刺激を受けます。
刺激=ストレスととらえると
快ストレスも不快ストレスもどちらも母として人間味を増すための
成長材料にしたいものです。
育児の楽しい面と苦しい面両方を受け入れるには
自分のよい面悪い面
自分の人生の幸不幸両方を受け入れる必要があるのでしょうね。
そもそも『快、不快』『良い悪い』『幸、不幸』などと2極でものごとを
とらえることなんて、できないのかもしれません。
できごとも、自分の感情もありのまま受け入れる、というのでいいのでしょうね。
Posted by rumi at 2008年12月11日 22:34