2009年09月02日

誓戒:禁戒(ヤマ)、勧戒(ニヤマ)



ヨーガ・セラピーでは、正しい心の姿勢を培うことが大変重要だと考えます。日常のものごと、またとりわけ人生に対する心がまえは、心身症や代謝病などの慢性疾患のみならず感染症の発病にも、直接的・間接的に重要な関係をもっているからです。
(略)
パタンジャリは、煩悩には無明(大いなる存在の性質に関しての無知)、自我意識、貪愛、憎悪、生命欲の五つがある、と説明しています。これらの煩悩で最初に取り組まなければならないのは、無明や自我意識ではなく、快楽にとらわれた心情である「貪愛」と、苦にとらわれた心情である「憎悪」です。貪愛と憎悪は、成長しきった木が倒れる前に切り落とさなければならないたくさんの枝のようなものです。


見る、聞く、嗅ぐ、味、触れるという五感への
対象を深めていくと快楽や欲望という枝が
どんどんどんどん大きく、太くなっていくのです。

太くなった枝は、たくさんの栄養や、水を必要
とします。そんな時に台風がきたら、いっぺんに
折れてしまいますね。枝だけならいいですが、
それでも強風の中、枝に執着していると
自分自身も倒されてしますという結果にも
なりかねません。

貪愛と憎悪を取り除く最良の方法は、両者のあいだに「中道」を見いだすこと、つまり執着しない心を培うことです。「離欲」は一般に「嫌悪」と訳されますが、そうではなく、「冷静」ないし「無関心」という意味にとらえなければなりません。貪愛と憎悪は人間のほうから外部のものごとに向けられるだけでなく、自分自身にも向けられるものだとヨーガは考えます。


例えば、恋愛を始めたばっかりのカップル。
相手のすべての行為が愛おしく見えます。
それが三年経つと。。

相手のすべての行為が
憎らしく見えます。
恋は盲目。。。

愛おしく見えるのも、憎らしく見えるのも
自分自身の心です。相手はどちらの時も
同じことをしているのです。

貪愛と憎悪を取り除く方法は、両者のあいだに
「中道」を見いだすこと、執着しない心を培うこと

とあります。仕事で業務内容を学習するように
心を培う→学ぶ
という行為が必要になるのです!

この人三年まえと変わってないわ!
と思うあなたの心も変わっていないのです!

私たちは、この二つの感情があまり激しくないときだけこの両方の感情を意識できます。しかし、感情がかなり激しいときは、顕著な感情だけを意識し、抑圧されて休止状態にあるもう一方の感情を意識しません。後者の感情はそれ自体は隠れており、異なった外観を装っているかもしれません。それはめったにはっきりとあらわれないのです。
(略)
正しい態度を培っていくうえでヨーガは、「禁戒(ヤマ)」「勧戒(ニヤマ)」と呼べれる自己訓練のルールを自覚的に守ることに大いに重点を置いています。禁戒(ヤマ)は社会生活における行動を訓練するため、勧戒(ニヤマ)は個人の習慣や態度を培うためのきまりです。禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)は合わせて「誓戒(ヴラタ)」と呼ばれます。
(略)
誓戒の目的は、修行者が徐々に離欲と識別力を培えるよう助けることです。この考え方の背景にあるのは、感情にとらわれていないとき、大脳皮質はふだんは自律的に機能している要素(それでも一定範囲は意志によってコントロールできますが)の大部分をコントロールできるということです。自律神経もまた一定の範囲内では意志によってコントロールできるのです。合理的な確信に裏づけられた体系的な精神的アプローチをとることによって、自律神経系を鍛えることが可能になります。つまり、修行が進んでくると、感覚衝動がどんなに強くても、大脳皮質が最初に関与することなしには反応が起きないようになるのです。(略)動物はたいてい衝動的に行動し、その行動は、恐れ、愛、怒りなどいくつかの異なる感情的な衝動によってのみコントロールされますが、人間(とおそらく数種の高等動物)は想像力や判断力を働かせることができます。そして人間は代々このプロセスを通して自身を訓練し、動物的な性質をかなり克服してきたのです。


誓戒:禁戒(ヤマ)、勧戒(ニヤマ)
 福井県立恐竜博物館

意志によってコントロールし
進化してきた人間。

衝動的に行動するのは、動物的であること
理性的に行動するということは、心を培う、学ぶということが
必要になるのです。恐竜は、絶滅しましたが私たちは進化してきた。
だから、私たちは自信をを持って、目の前のスィーツやショッピング、怒り
と向き合ってきましょう!




Posted by katsukino at 11:38│Comments(0)
 
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