2009年10月31日
葛藤
過去、現在、未来の混乱の中で生きるというのは、
葛藤した心の状態を持ちながら、生き続けている
といえます。
今、がんばって、子育てをすれば、10年後は楽になる。
がんばって、働けば、楽しい楽な暮らしが出来る。などと
いうのは、現在からの未来への葛藤を持ちながら、今、
我慢している。
昔、出来なかったから、今、楽しもう。昔忙しかったから、
今はゆっくりしよう。過去の経験の葛藤を現在に持ち越
して生きる。それらは、横の時間軸といえます。
集中する。
とは、それら葛藤をなくすことであり、そうすると、
横の時間軸は消滅し、縦の時間軸が現れます。
過去と未来がなくなり、現在だけになるのです。
慈愛をもって、夜中に子供のオシメを変えるとき、
慈愛をもって子供の病気を看病するとき、便秘で
ウンチが出なくて、苦しんで3日。ウンチをもらした
ときの喜びは何でしょう!
慈愛を持っていると、ウンチ
をもらしても喜びになるのです。
現在という縦の時間軸、階段を上っていく。
それが集中、葛藤をなくす行為といえます。
右肩上がりの階段ではなく、
螺旋状の階段を
上がります。なぜでしょうか?
食材の買い物を考えましょう。
毎日する買い物は、丸大にいっても、
マックスバリューにいっても、かねひでにいっても、
コープに行ってもほとんど同じ食材を購入します。
自分の好みの食が決まっているからです。
同じように、私たちの心の葛藤もグルグルと
回っています。第一印象で、こういう人は好きの
カテゴリー、こんな行為を私にしてくる人は、
危険人物カテゴリー、と自分の立場からの
葛藤で、世界を生きています。この心の葛藤は
変えることは、出来ません。
変えることは、出来ませんが、それをマネージメント
することは出来ます。そうすると、グルグル回るけど
螺旋状の階段を上にあがっていける、「気づき」を得る
事が出来るのです。
職場で、こんな行為を私にしてくる人は、危険人物
カテゴリー、と判断して、その職場をやめたとしましょう。
数年後、別の環境、仕事場で同じような条件の人が
現れるのです!
なぜなら世界は、私の葛藤で判断しているのだから。
葛藤している心を観察することが出来るとき。階段を
のぼれるのです。のぼっているから上からその状況が
見える(客観視)のです。
葛藤している心を野放しにするとき、籠の中のネズミが
丸いコースターをグルグル回るように、自分の葛藤を
グルグル回るのです。しかも、逃げれば逃げるほど、
経験を積めば積むほど、そのコースターは大きくなり、
自分自身も重くなり、苦しくなるのです。
子育てで子供と向き合うとき。
歩くのが喜び、走るのが喜びの三歳児は、部屋の中でも、
広場でもスーパーでもどこでも走る喜びを得ようとします。
そうやって、机にのぼったり、床においてある本を踏み
つけることがあるでしょう!そんな時親は、葛藤します。
こんな子供になったらダメだ。恥ずかしい。急いで躾を
しなければ、と葛藤を大きくして、怒ります。おしつけです。
恥ずかしい、急いで躾しなければ、というのは、
過去現在未来の横軸の葛藤ですね。
「気づき」をもって観察したとき。どこでも跳んだり、
走ったりするのは楽しいね。でもねー。机の上で
いつもご飯食べるよね。床には、いっぱいのバイキンさん
がいるよね。そのバイキンさんのついた足で机の上に
あがって、そこにご飯を置いたら、バイキンさんを
食べる事になるよ!そうしたらバイキンさんがお腹に
入り込んで、どうなるかねーーーーー
集中したとき。葛藤をなくしたとき。子供の視線に
降りていくことが出来ます。子供はただ、嬉しくて
嬉しくて跳んでいる、走っているだけなのです。
お見舞いにオバーオジーに会いに行ったとき。
おばー連れてきたよ~。これ誰だかわかる?
おじー昨日、何食べたかわかる?
とよくお見舞いに行ってしますよね?
えーっと誰だったかな。
えーっと何食べたかな。
ほらーもう、危ないでしょ。ボケ始めてるでしょ。
と見下す。オジーオバーの心は弱っているから、
口には出しませんが心では、怒っています。
怒らすのがお見舞いでしょうか?
葛藤をなくし、集中している時。
病室に入ったら、手を握り、オデコをなでながら、
オジー私が来たよ~と名前をいって、会えてよかった。
うれしいよーと現在の喜びを伝える。自分が喜んでいたら、
相手にも喜びは伝わるのです。
昨日は、ゆし豆腐食べたけど、美味しかったさーねー。
今晩は、何が出るかね~楽しみだねーと食べる喜びを共感する。
そうすれば、見舞った人も、見舞われた人も同じ喜びを
共感し、お互いに階段を上ることができるはずです。
一つ一つの行為に気づいてきましょう!そうすれば
その行為によって、自分が葛藤が増えて、緊張してくるか、
葛藤が消えて、集中していくかを知ることができます。
どの行為によって、葛藤し、どの思いによって、静まる
のかをまずは、見つけていくのが大事ですね。
葛藤した心の状態を持ちながら、生き続けている
といえます。
今、がんばって、子育てをすれば、10年後は楽になる。
がんばって、働けば、楽しい楽な暮らしが出来る。などと
いうのは、現在からの未来への葛藤を持ちながら、今、
我慢している。
昔、出来なかったから、今、楽しもう。昔忙しかったから、
今はゆっくりしよう。過去の経験の葛藤を現在に持ち越
して生きる。それらは、横の時間軸といえます。
集中する。
とは、それら葛藤をなくすことであり、そうすると、
横の時間軸は消滅し、縦の時間軸が現れます。
過去と未来がなくなり、現在だけになるのです。
慈愛をもって、夜中に子供のオシメを変えるとき、
慈愛をもって子供の病気を看病するとき、便秘で
ウンチが出なくて、苦しんで3日。ウンチをもらした
ときの喜びは何でしょう!
慈愛を持っていると、ウンチ
をもらしても喜びになるのです。
現在という縦の時間軸、階段を上っていく。
それが集中、葛藤をなくす行為といえます。
右肩上がりの階段ではなく、
螺旋状の階段を
上がります。なぜでしょうか?
食材の買い物を考えましょう。
毎日する買い物は、丸大にいっても、
マックスバリューにいっても、かねひでにいっても、
コープに行ってもほとんど同じ食材を購入します。
自分の好みの食が決まっているからです。
同じように、私たちの心の葛藤もグルグルと
回っています。第一印象で、こういう人は好きの
カテゴリー、こんな行為を私にしてくる人は、
危険人物カテゴリー、と自分の立場からの
葛藤で、世界を生きています。この心の葛藤は
変えることは、出来ません。
変えることは、出来ませんが、それをマネージメント
することは出来ます。そうすると、グルグル回るけど
螺旋状の階段を上にあがっていける、「気づき」を得る
事が出来るのです。
職場で、こんな行為を私にしてくる人は、危険人物
カテゴリー、と判断して、その職場をやめたとしましょう。
数年後、別の環境、仕事場で同じような条件の人が
現れるのです!
なぜなら世界は、私の葛藤で判断しているのだから。
葛藤している心を観察することが出来るとき。階段を
のぼれるのです。のぼっているから上からその状況が
見える(客観視)のです。
葛藤している心を野放しにするとき、籠の中のネズミが
丸いコースターをグルグル回るように、自分の葛藤を
グルグル回るのです。しかも、逃げれば逃げるほど、
経験を積めば積むほど、そのコースターは大きくなり、
自分自身も重くなり、苦しくなるのです。
子育てで子供と向き合うとき。
歩くのが喜び、走るのが喜びの三歳児は、部屋の中でも、
広場でもスーパーでもどこでも走る喜びを得ようとします。
そうやって、机にのぼったり、床においてある本を踏み
つけることがあるでしょう!そんな時親は、葛藤します。
こんな子供になったらダメだ。恥ずかしい。急いで躾を
しなければ、と葛藤を大きくして、怒ります。おしつけです。
恥ずかしい、急いで躾しなければ、というのは、
過去現在未来の横軸の葛藤ですね。
「気づき」をもって観察したとき。どこでも跳んだり、
走ったりするのは楽しいね。でもねー。机の上で
いつもご飯食べるよね。床には、いっぱいのバイキンさん
がいるよね。そのバイキンさんのついた足で机の上に
あがって、そこにご飯を置いたら、バイキンさんを
食べる事になるよ!そうしたらバイキンさんがお腹に
入り込んで、どうなるかねーーーーー
集中したとき。葛藤をなくしたとき。子供の視線に
降りていくことが出来ます。子供はただ、嬉しくて
嬉しくて跳んでいる、走っているだけなのです。
お見舞いにオバーオジーに会いに行ったとき。
おばー連れてきたよ~。これ誰だかわかる?
おじー昨日、何食べたかわかる?
とよくお見舞いに行ってしますよね?
えーっと誰だったかな。
えーっと何食べたかな。
ほらーもう、危ないでしょ。ボケ始めてるでしょ。
と見下す。オジーオバーの心は弱っているから、
口には出しませんが心では、怒っています。
怒らすのがお見舞いでしょうか?
葛藤をなくし、集中している時。
病室に入ったら、手を握り、オデコをなでながら、
オジー私が来たよ~と名前をいって、会えてよかった。
うれしいよーと現在の喜びを伝える。自分が喜んでいたら、
相手にも喜びは伝わるのです。
昨日は、ゆし豆腐食べたけど、美味しかったさーねー。
今晩は、何が出るかね~楽しみだねーと食べる喜びを共感する。
そうすれば、見舞った人も、見舞われた人も同じ喜びを
共感し、お互いに階段を上ることができるはずです。
一つ一つの行為に気づいてきましょう!そうすれば
その行為によって、自分が葛藤が増えて、緊張してくるか、
葛藤が消えて、集中していくかを知ることができます。
どの行為によって、葛藤し、どの思いによって、静まる
のかをまずは、見つけていくのが大事ですね。
Posted by katsukino at 19:38│Comments(0)
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