2010年03月24日

チッタバーバナー:バクダンよりも強い

大きくなったら何になりたいー?
 仮面ライダー
大きくなったら何になりたいー?
 ケーキ屋さん
大きくなったら何になりたいー?
 クッキー屋さん
大きくなったら何になりたいー?
 仮面ライダー
と卒園児童の将来の夢

次の日曜日に不発弾の処理が
家から歩いて5分のところであり
下見にいきました。

近くでオジーが畑をしていて
バクダンどこですかー
と会話していると、息子が聞いていて
一緒にいた小学生のネェーネェが息子に
バクダンたるものを説明。

一瞬にして、混乱の息子は
もう!お父さん。早く行こう
嫌だ。と恐怖。

そのままホームセンターに向かったのですが
車中の中はバクダンについての話。

ナンデバクダンがあるの?
戦争があってね、飛行機から
落とされたバクダンがバクハツしなくて
そのまま残っているんだよ。

あそこだけにあるの?
ううん。他にもあるかもしれないよ。

ナンデ?
どのくらい強いの?
ダンプカーよりもバスよりも
クレーンよりも強いんだよ。

ナンデナンデと
バクダン自体の存在が
信じられないようです。

不発弾処理で次の日曜日はヒナンだよ。
あの牛さんも大丈夫かな。
むぎの子は大丈夫?
大丈夫だよ。

とずうっと話ていました。
翌日朝。

ショベルカーでバクダンをゴツンすると
ドッカーンとなってしまうかもと再び話。

バクダンよりも強いのがあるよ。
と私がいうと

え。
ショベルカーよりも強い
バクダンなのに、それよりも
強いヤツがあるのかと息子の顔

バッタ捕まえても、しばらく一緒に遊んだら
逃がしてあげる「やさしさ」が強いんだよ。
お友達にもオモチャかしてあげたり、お菓子を
分けてあげる「優しさ」がバクダンよりも
強いんだよ

息子の顔に
希望の光り

ボクも昨日小さい
カマキリ捕まえたけど
逃がして上げた。

カマキリにお家作って
上げた。


そうだよ。
優しいね。バクダンより
強いね。

それが脳のココロ?
と息子の一言。

私はドキッとしました。

そうだよ。
チッタ バーバナー(修習(Bhavana))
と言うんだよ。

子どもは
論理的な世界に
生きています。



チッタバーバナー:バクダンよりも強い

のうは、 まだ ちいさい ときは 
かんじた ことを うったえたり 
うごきを うまく つなげて 
いく ことが できません。

ですから、ちいさな あかちゃんは、
ねこが いても おもちゃが あっても
バブバブと いって たたいたり
ひっぱったりするだけでしょう。

チッタバーバナー:バクダンよりも強い

こいぬが かわいそうだな、
あんなに いじめなくてもいいのに
よぉし、 やめるように いって やろうー
と おもったら、

あなたは、 とても おもいやりのある
こころの きれいな ひとですね。

そうですね。
こころと いうのは、
のうが かんじたり かんがえたり
おもったりする あらわれの ことなのです。

ところがー

わぁー おもしろいなあー
 と かんじたり、
もっと いじめてやれー
 と かんがえたり、
うんと やっつけちゃえー
 と おもったりするのです。

そのように のうが かんじ、
のうが はたらき、
のうが かんがえて しまうからです。


チッタバーバナー:バクダンよりも強い

チッタバーバナー:バクダンよりも強い




修習(Bhavana)とは、生じさせて起こす、そうでないものをそうする、まだないものを生じさせることを意味します。だから、実践であり、訓練であり、実行に着手することなのです。修習には訓練、薫陶というもう一つの意味があります。訓練は、できないものをできるようにします。薫陶は、まだないものをあるようにするとき、またそれ以上に生じさせてあるようにさせ、起こしたとき増進して完全にすることでなければなりません。
修習には開発と同様な意味があります。やさしく言えば、増進することです。(略)ここで私たちが求めるレベルの修習は二種類に分けられます。心修習、つまり心の訓練・薫陶が一つと、慧修習、つまり慧の訓練・薫陶がもう一つです。
現在の言葉に従って使えば、増進、つまり開発です。心修習は心の開発、慧修習は慧の開発です。
心修習(Citta-bhavana)はやさしく言えば、止(Samatha)で、時には止修習と呼びます。止そのものの真の核心は定です。というのは、止は寂静という意味で、寂静の核心は定だからです。心を専一にすることです。止は定そのものを目指します。定は止の本質だと言うこともできます。そこで定修習(Samadhi-bhavana)というもう一つの呼び方があります。
心修習という言葉も、止修習という言葉も、定修習という言葉もそれぞれ代替して使えます。
二番目の慧修習(Panna-bhavana)は、もう一つの呼び方は観修習(Vipassana-bhavana)です。観修習は慧を起こすことを目指します。一切のものの真実を理解する慧です。世間と生きることを如実に知る段階の慧は、観と呼びます。はっきりと知るという意味です。ただ生きることを知るだけでなく、一切のものの実相、真実の状態を知るのです。そこで観と呼びます。これはあるレベルの慧です。だから、観修習は広く呼べば慧修習です。

修習を二種類に分けました。最初のものは心修習と呼んだり、止修習と呼んだり、定修習と呼んだりするものです。二番目のものは、慧修習、あるいは狭く制限して呼んで観修習です。修習というのはこのように簡単に理解できるものなのです。(仏法の思考と実践P68)




Posted by katsukino at 08:26│Comments(2)
この記事へのコメント
いいお話ですね。

息子さんの成長が

とても 楽しみです・・。
Posted by ざは at 2010年03月24日 18:41
ざはさま
コメントありがとうございます。

優しさが何故バクダンよりも強いのか?

もう少し考えてみました。

爆弾が強いとは弱肉強食の世界ですね。強者も弱者もどちらも不安な状態。負ける不安。勝っても次に負けないかとの不安。

優しさは、平等でバッタもカマキリも息子もみんな安心な状態です。

カマキリも安心だから、自然も安定します。

慈悲の心です。

生きとし生けるものが幸せでありますように
Posted by おきなわヨーガ at 2010年03月24日 20:00
 
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