2011年11月24日

ダライラマ法王:怒りによる無智のエネルギー

風邪ぎみになると
機嫌が悪くなる。
言葉が悪くなる。
集中が出来ない。

気合いでなおす!

と思い、疲れた身体に
対して暴力的に放置する。

エネルギーの作り方を
根本的に間違っていないか?

たまたま
気合いで
治ったことがあるかも
知れない。

しかし、それは
気合いで治ったのではなく
たまたま身体が治癒しただけ。

怒りが燃料だと
結果に心が左右される。
勝てば、飛び上がり
負ければ、消沈する。

呼吸、寿命という
エネルギーの流れは
私たちはコントロールできない。

怒りというエネルギーは
その土台の上で右往左往している
だけである。

怒りは
1.穏やかさを破壊する。
2.現実を判断する能力を破壊する


本来のエネルギーを
取り戻そう。
怒っていては始まらない。
身体を大切に。
呼吸を大切に。
目の前の人を大切に。



怒りによって
短期的に
エネルギーを
作り出している。

しかし
そのエネルギーは
無智なエネルギー。

怒りというエネルギーは
正しさ、悪いという
判断する能力を
破壊する。

怒りを最大限に
育てたとき
私たちは現実が
見えない。

私たちは
現実を知らなければ
ならない。

現実を
見た時
調査した時
私たちの心は
穏やかでなければ
ならない。

そうしないと
現実を客観的に
見ることが出来ない。

人間が持ち合わせている
理性を正しく使うとき
心は穏やかであるべき。

怒りは
1.穏やかさを破壊する。
2.現実を判断する能力を破壊する

怒りが役に立たない、破壊のみと
はっきりと理解できたなら
怒りから距離を置くことが出来る。


オリジナル法話。
at Doon School's Founders Day Ceremonies



ふたば仏教・ヴィパッサナー実践・瞑想


タグ :仏教


Posted by katsukino at 22:01│Comments(0)
 
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