2010年11月15日

慈しみ:2010ダライラマ法王法話会

慈しみ:2010ダライラマ法王法話会

「輪廻と業果」と題しての
ダライラマ法王の
法話。

 「私たちは、母から生まれた、その時から慈しみを受けている。
 優しさに包まれた状態で赤ちゃんは生まれている。
 慈悲を持っていれば問題に積極的になれる。」



心の苦しみをなくして幸せを得るためには、宗教に対する信心が絶対に必要なのかと言いますと、必ずしも必要ではありません。仏教的な観点から言うならば、私たちの生きているこの人生だけを楽しく幸せに過ごせればよいなら、必ずしも宗教に対する信仰を持たなくてもいいと思います。

物質的な面を向上させるだけでは、心の平和を得ることができないのは明らかなことですが、それなら心の平和を得るためには、宗教を信仰することが必要なのかと言えば、必ずしも必要ではありません。

私たち人間には、生まれながらにして備わっている良き資質があります。この本来の良き資質を大切にして、私たちがよりやさしい、より良い人間であるように努めているならば、自然に心の中の不安や心配は少なくなっていきますし、自分の心の中の満足感を高めていくことができるのです。

心に満足感があるときには、自分の思いによって生じる不安や苦しみが少なくなるのは当然のことですね。ですから、宗教に対する信仰を持っていなくても、人間の生まれながらにして持っている良き資質を大切にして、よりやさしい、より良き人間として生きていくことができれば、心は幸せになり、幸せな家庭生活をしていくことができるのです。

しかし、もし私たちがやさしい心と正しい考えを持たず、人に対する思いやりに欠けていたならば、この人生を幸せに楽しく過ごしていくことはできません。

つまり、幸せな人生を過ごすためには、物質的な面での改善をはかり、快適な生活を求めることだけでなく、心の内面におけるものの考え方をより良いものに変えて、自分の心の中に良き変化をもたらす努力をしていくことが必要ですが、宗教への信仰は、必ずしも必要ではありません。より良き一人の人間として、やさしさと思いやりに基づいた行いをして生きていくことこそ、私たち人間にとって一番重要なことなのです。(ダライ・ラマ来日講演集―智慧と慈悲より)





慈しみ:2010ダライラマ法王法話会

慈しみ:2010ダライラマ法王法話会

あなたが まだ
うまれる まえの あかちゃんより
もっと ちいさかった とき、
おかあさんから えいようや だいじな ものを
おくって もらって いた あとなのです。
あなたが おかあさんの おなかの なかで
すやすや ねて いた ときの しるしなのです。

おとうさんにも
おへそが あるでしょう。

おとうさんも
ずーっと むかしは
あかちゃんで、
おとうさんを うんだ
おかあさんの
おなかの なかに いたから
おへそが あるのです。




Posted by katsukino at 08:21│Comments(0)
 
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